『The Mission song』日英の読み比べ

『The Mission song』日英の読み比べ

<ひとつお願いがある。一流の通訳をただの翻訳者と思わないでもらいたい。通訳者はたしかに翻訳者だが、逆は真ではない。そこそこの言語能力と辞書、深夜まで働くための机があれば、誰でも翻訳者にはなれる。恩給付きで退職したポーランド人の騎兵隊将校も、学費の足りない海外留学生も、ミニキャブの運転手も、パートタイムで働くウェイターや臨時教員も。要するに1000語70ポンドで魂を売る気のある人間なら、誰でもだ。六時間のこみ入った交渉で力を尽くす同時通訳者と共通する点はまったくない。>

私が書いたのならかっこいいのだが、上記の抜粋は、ジョン・ル・カレ『ミッションソング』(光文社文庫)より。尊敬する先生に原書をいただき読み始め、この部分をどう訳しているのか気になった。続いて私が読みたかった訳文がこちら↓。こんな英語が話せたらいいのにな。

<英語の声のことである。特等でも中等でも格安でもない。似非王室ふうでもなく、イギリス左翼の嘲る容認発音(パブリップスクールや名門大学出身の教養人の発音)でもない。かりに色があるとしてもきわめて中性的で、抑揚は過剰なまでに英語社会の中央に位置する。「ああ、あそこの出で、ああいう人間をめざしていて、気の毒に親は誰それで、あそこの学校に通ったんだな」と人に言われるような発音ではない。いかに努力しようと、どうしてもアフリカの暗い色を消し去ることができないフランス語とちがって、私の英語は複雑な出自をまったく明らかにしない。ブレア首相の”無階級”ふうの不明瞭さも、伝統的な強いロンドン臭も、カリブ海のメロディも持たない。母音を省略する、我が敬愛する亡父のアイルランド訛の痕跡すら残っていない。(〜中略)私の話す英語は汚れをこそぎ取られて真っ白で、ブランドがない。ただわずかにサハラ以南の晴朗さという美点はあり、私はたわむれにそれを、コーヒーにたらしたミルクの一滴と呼ぶ。私は自分の英語が好きだ。(〜中略)うぬぼれは多かれ少なかれ誰もが持ち合わせているが、私のそれは、部屋にいないとみんなが困る人間であることだ。>

アイルランド人宣教師とコンゴ人女性の間に生まれたサルヴォは、両親から受け継いだ語学の才能で一流の通訳になっていた。ある日、英国政府情報部のいらいで 秘密会議の通訳をすることになり、その裏に豊富な資源を巡る巨大な陰謀があることに気付く、という国際謀略小説。

会議の息づかいまで感じられる本で夢中になり、サルヴォの出生を日本語で読みたくなった。サルヴォの存在は、白人宣教師とアフリカ人の間にあったことの生き証。肌の色と目鼻立ちはいつも哀れみと軽蔑の対象になってきた。その人間が国家間の秘密会議で最も重要な役割を果たす。ぜひおすすめしたい、読みやすい原書。

翻訳者の肩書きを、恐れ多くも語っております。最近通訳の仕事も増えたのでそれも足すことにしました。が。こんな国際舞台に出ることはもちろんあり得ないんだけど、”一流”の舞台にびびりまくるという読者がここにひとり。