『不実な美女か 貞淑な醜女か』
翻訳・通訳を女性に例えて書かれたのが、どちらもイマイチというタイトルの本『不実な美女か 貞淑な醜女か』。ロシア語の通訳・翻訳者だった故・米原万里さんの著書だ。
翻訳を女性に例えるのは、ヨーロッパの通訳論からきている発想だと本書はいう。
イタリアルネサンスの格言「翻訳は女に似ている。忠実なときはぬかみそ臭く、美しいときには不実である」(中村保男著『翻訳の技術』(中公新書))
17世紀のフランスで訳文の美しかったペロー・ダブランクールの翻訳を、大学者のメナージュが評して「私がトゥールで深く愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった」と述べたことに始まるらしい。(辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房))
女性の美醜だけに例えられていることが癪だと米原さんは語るが、上手に嘘をついて演じ分けるあたり、男性より適役ということか。
理想的な訳とは原文に忠実であり、別の言語にしたときに無理のない文になっていること。
この完璧な訳を女性に例えて「貞淑な美女」とするならば、原文を意訳したのが「不実な美女」。
原文の意味を明確に伝えてはいるが耳障りが悪い「貞淑な醜女」、最も困る訳が「不実な醜女」となる。
パーティなどの席では場の雰囲気を壊すよりも「美女」としての訳が重宝され、ビジネスではどうして相手が怒っているかをはっきり伝える「醜女」の訳が求められる。
必要とされる女性像が場合により変化するから、世の中の通訳者は状況に応じて不実な美女か貞淑な醜女を演じることになる。
面白い。
言葉に向かい合ってきた米原さんの感覚に触れられる一冊。
何度も読み返したくなる本。
※ 写真はReading ladyのカレンダーより